アストロラーベの歴史

このページはアストロラーベの歴史について各種資料をまとめております。
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※2018/5/28
資料を集めながらの箇条書きの記述である程度情報がたまったらまとめます。

〜古代ギリシャ – ローマ帝国時代〜

...起源は紀元前のギリシャにさかのぼります。

  • 「アストロラーベ – Astrolabe」という名称はギリシャ語 “astron(ἄστρον:star:星)”と”lambánein(λαμβανειν:take:取る)”を合わせて「星を取るもの」と解釈できます。
  • アストロラーベの基礎的理論を提唱した人物は【ヒッパルコス(紀元前2世紀)】と言う可能性が高いと言われています(※彼は有史最古の天文学者と呼ばれている。).この時点ではいわゆる平面アストロラーベの形式では無かったよう。
  • “2世紀”、ローマ帝国で暮らしていたギリシャ人【クラウディオス・プトレマイオス】が立体投影法(球体を平面に投影する方法/ステレオ投影とも言われる)を紹介したところから、現在伝わる平面アストロラーベの基礎が考案され始めます。
    ※その後、ローマ帝国の繁栄とともに化学も発展し、”4〜5世紀”にはアストロラーベの発明が完成されたという見解がある。
  • ビザンチン帝国時代に使用された記録があり、”6世紀”にはギリシャ語のアストロラーベについての論文が発表されており、その後7世紀にはシリア語で書かれた論文も見つかっている(この内容で説明されているアストロラーベは真鍮製という記述があり、中東に伝わる以前よりこの素材で制作されていた事が解る)。

 

中世 – 中東〜西洋

  • 最初にイスラム世界に持ち込まれたのは”8世紀”。”9世紀”には既に論文が書かれたようにアラブでのアストロラーベは早い段階から発展した。

..続く

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